21年目の栄光 第二話

越本隆志の軌跡

21年目の栄光 第二話



 


21年目の栄冠 第二話


友達と飲んだり、タバコを吸ったり、コンパをしたり…。たわいもない日常が、高校の3年間ボクシング漬けだった彼にはとても新鮮に感じられた。一方そのころ、父はたまに来る2、3人の練習生の相手をしながら時間を潰す日々。「選手としてはダメだったが、すごい選手を育てて脚光を浴びたい」、そんな思いが先走り、息子の気持ちなど少しも考えていなかった自分にようやく気づき、後悔の日々が続く。しかし後悔していたのは息子もまた同じだった。



 家出から1年もたつと、隆志はあれだけ楽しかったはずの自由な生活がつまらなくなった。友達と話しても「あのコがかわいい」とか「あの車が欲しい」という内容ばかり。「なんだよみんな、夢がないなあ」と思ったら、自分も同じような話題しか見つからなくなっていた。苦しいことも辛いこともないが、喜びも満足感も味わえない。「俺が求めた自由とは、こんなものだったのか」と怖くなった。「もう一度だけ輝きたい。弱い自分の気持ちから逃げた自分にけじめをつけたい」と、長いブランクを経て、隆志はボクシングを再開する覚悟を決めた。ただし今度は父親のためではなく、自分自身のために。自宅に戻ると、「今度は気長にやろう」と声をかけた父に、隆志は黙って頷いた。しかし心の中では、俺は自分のためにボクシングをするんだ、と呟きながら。

 92年、プロテスト合格。21歳でプロデビューすると全日本新人王獲得。以後も連戦連勝、96年11月には日本タイトルを奪取した。隆志はボクサーとしては着実に成長し、親子の間にも強い信頼関係が生まれてきた。ただし当時は、まだ選手とトレーナーという条件付きだった。



 その親子関係に大きな転機となったのは、6年前の世界戦だった。大口スポンサーの少ない地方ジムが世界戦の興行を打つのは、並み大抵の労力では無理だ。しかもスタッフが2人(会長とマネージャー)しかいない片田舎のジムではなおさら。試合は決まっても協力者は少なく、父は資金調達のためスポンサー探しをしたり、宣伝や切符販売などに忙殺された。試合当日は、いつ倒れてもおかしくないほど慌悴していた。

 試合は玉砕覚悟で勝負に出た第9ラウンドに完膚なきまでに叩きのめされてノックアウト負け。連日お祭り騒ぎのように集まっていたマスコミをはじめ、大勢の人たちが周りからいなくなり、後援会も解散した。残ったのは貼りきれなかった大量のポスターと借金。2人は奈落の底に突き落とされたが、隆志は、自分を世界の舞台に上げるため、体を壊しながら尽力してくれた父の姿に、以前とは違う感情を抱くようになった。初めて心から実感できた父親の愛情。自分のためにと続けてきたポクシングだったが、けっして一人では戦えないことを知った。「負けたことを、引退の理由にはしたくなかった。自分に足りなかったのは明らかに技量。キャリアさえ積めば、世界との差は絶対に埋められる自信があったから」と隆志はすぐさま現役続行を決意。翌年には東洋太平洋のタイトル奪取。世界再挑戦の道は順風満帆に思えた。が、再び地方ジムの悲哀を味わう。東洋タイトルをいくら防衛しても世界戦のチャンスはめぐってこない。実力が知れ渡り、チャンピオンに避けられたこともある。しかし最大の理由は、ジム自体に経済的な余裕がなかったこと。客は集まらない、スポンサーもつかない。そんな状況下で、1試合で4千万円以上かかる世界戦の興行など打てるはずがなかった。「隆志には『本当はもう世界戦はしとうない』と話しました。本人は落胆していましたが、あまりに負担が大き過ぎましたからね」(英武)。


文 スポーツライター会津泰成氏

 

 

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